大日本コンサルタント株式会社

営業

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事業統括部事業企画部部長 永山芳伸

1996年  大日本コンサルタント入社。盛岡営業所(当時)勤務を皮切りに、福島事務所、山形営業所勤務。
2011年  東日本大震災を機に再び盛岡事務所へ勤務。震災復興区画整理事業、防災集団移転促進事業等、ほか震災復興事業の受注活動に従事。
2015年 横浜支店営業企画室勤務
2018年 東北支社営業企画部勤務、台風19号の災害復旧事業に奔走
2020年 本社 事業統括部事業企画部勤務 現在に至る

事業統括部事業企画部部長 永山芳伸

1996年  大日本コンサルタント入社。盛岡営業所(当時)勤務を皮切りに、福島事務所、山形営業所勤務。
2011年  東日本大震災を機に再び盛岡事務所へ勤務。震災復興区画整理事業、防災集団移転促進事業等、ほか震災復興事業の受注活動に従事。
2015年 横浜支店営業企画室勤務
2018年 東北支社営業企画部勤務、台風19号の災害復旧事業に奔走
2020年 本社 事業統括部事業企画部勤務 現在に至る

人生を賭けるに値するフィールドがここにあり
私たちが存在する理由がここにある

建設コンサルタントとは

人々の暮らしに欠かすことが出来ない道路や橋梁・トンネルなど、公共性の高い施設・設備を社会資本、あるいは社会基盤施設といいます。これからも永続的に快適で安全なみなさんの暮らしを支える社会資本にとって、建設コンサルタントは重要な役割を担う存在です。

建設コンサルタントの仕事は、工事を行う前段階において、必要とされる公共施設などの具現化に向け、建設コスト・施工方法・工程・環境影響・経済効果など、あらゆる課題を調査などにより抽出し、最適な計画・設計を提案することです。私たち建設コンサルタントは、社会資本を将来へとつなげる重要な役割を担っているのです。

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建設コンサルタントの営業とは

建設コンサルタントの営業は、完成された商品(モノ)を取り扱っていません。わたしたち営業の仕事は、お客様が抱えている課題の解決方法を、提案する技術力を、必要としていただけるお客様に届けることです。

私たちを取り巻く周辺環境は、時代とともに目まぐるしく変化しています。日本は、これから少子化が進み超高齢化社会を向かえます。それに伴って、技術の継承者が不足、地方衰退の危機に晒されています。また、気候変動による豪雨災害、今後起こりうる首都直下型・南海トラフ地震など震災への備えが求められています。戦後、急速に整備されてきた社会資本の老朽化が大量に進み、社会基盤施設の維持管理のあり方や新たな運営への取り組みも必要なのです。

建設コンサルタントの営業は、発注者の「思い」とともに、社会資本が抱える上記の課題も解決していかなければなりません。「思いと想いをつなぐコーディネーター」「想いと思いをつなぐコンシェルジュ」として先頭に立ち、当社の技術力と上手にマッチングして課題解決に導くこと。それが営業の仕事です。

 

営業マンとして価値観が変わった出来事

2011年 春 |無力の中で

未曽有の大震災が東日本を襲った

もうもうたる土埃の中、鼻を突く重油とたんぱく質の腐敗臭、あたりにはその日の悪夢が訪れることなど知る由もなく生きてきた人々の証が散乱する中、無我夢中で駆け回った。呆然と瓦礫の中を彷徨う人々と、穏やかに打ち寄せる波の音の静寂、見上げる先にはいつもと変わらぬ突き抜けるほどの三陸の蒼、今年も来るであろう夏を期待させる空の青が哀しい程に、どこか嘘のように現実離れした風景がそこにあった。

 

2012年 冬 |使命

岩手県宮古市田老地区

その町は3.11で甚大な被害を受けた。津波は圧倒されるほど巨大な防潮堤を容易く乗り越え町を飲み込んだ。当社はその町と営みを再びよみがえらせるミッションを与えられた。
工事着手前の調査、小高い山林の谷筋を息を切らしながら分け入った。木々の隙間からかすかに見おろす変わり果てた田老の町と漁港。本当にこんな原野にかつての町や賑わいが復活できるのだろうか・・。半信半疑漠然とした不安を抱く一方、この国難に貢献できるかもしれないというと使命感と高揚感で無我夢中に藪の中を駆け上がった記憶を今でも鮮明に思い出す。被災された地域の方のために1日でも早く完成させなければならない。このプロジェクトに、測量、調査、まちづくり計画、造成、道路計画、設計、防災、橋梁、事業マネジメントと私たちの持てる技術を結集させ総力を挙げて取り組んだ。建設コンサルタントの集大成であった。

 

2018年 春 |矜持

再び宮古市田老地区

4年ぶりに訪れた田老地区。降り立った瞬間、5月とは言え頬を伝う風は凛として北東北の春らしい、どこか背筋が伸びるような清々しさがあった。できる限り街の胎動を感じるように高台へ続く道へゆっくりと車を走らせ、頂上の一画で車を降りた。街として再生された高台から、なりわいと日常を取り戻した港町を見守るように貯水棟の下につつましくひっそり置かれた記念碑には、この地区に日常とくらしの安全を取り戻すために、もてる技術のすべてと人生の一部を注いだ共同企業体の建設会社と当社の誇り高き技術者や営業スタッフの名が刻まれていた。その礎はこれから幾年月この町の移ろいをやさしく見守るであろう。その者たちの名をひとしきりなぞり、満ち足りた気持ちで高台から戻る道すがら、保育園の前で慌てて車を停めた。どこにでもあるその光景にしばらく立ち尽くす。園庭で駆け回る小さな息吹と歓声に、この土地への希望と揺るぎない確かな未来を見た時、己が生業に確固たる意義と誇りをあらためて見い出せた気がした。

 

2020年 夏 |メッセージ

東日本大震災から間もなく10年

私たちは今、新たな困難と直面することとなりました。新型コロナという目に見えぬ恐怖との闘いや、気候変動で繰り返される自然災害、人々が等しく、持続的かつ豊かに生活できるために、私たちの役割と果たすべき使命について今一度自身に問いかけています。
今日まで私たちを育んでくれた故郷、家族、友人、その地域に関わる全ての人に私たちの持てる技術と可能性を最大限に発揮し地域に貢献する、今がその時です。これから皆さんは長い年月を社会人として過ごすでしょう。やがて社会人として歩んできた道を振り返るとき、「いい仕事」をして充実し豊かな人生であったと感じていただきたい。「いい仕事」とはみなさんの心に深く刻まれ、誰かの役に立てたことの充足感でおだやかに満たされる行為であり、誰かを幸せにすることです。そして営業とは受注することのみが仕事なのではなく、自らの信念や仕事にかかわる人々の思いの熱量を人々に伝えることこそが「いい仕事」を担う上でも重要な使命なのだと私たちは考えます。
人類の英知を以って築き上げたこの都市で、目に見えぬ脅威にうろたえる皮肉なこの時代にかつてのような何気ない日常の営みを取り戻すために、今一層みなさんの力を必要としています。

誰かに希望と幸せを感じてもらえる「いい仕事」を私たちと一緒にしましょう。
いつの日かみなさんにお会いできることを心より楽しみにしています。