大日本コンサルタント株式会社

構造保全

構造保全

構造保全技術部部長 齋藤 哲郎

構造保全技術部部長 齋藤 哲郎

大日本の屋台骨!『構造・保全技術』

【構造保全事業部の組織構成と役割】

構造保全事業部は関連部署の総称です。関連部署は、全支社・支店・事務所に配置した「構造保全計画室」をはじめ、関東支社に「東京構造センター」と「都市施設計画室」、大阪支社に「大阪構造センター」を置く東西2拠点体制の「技術統括センター」、および、本社「インフラ技術研究所」の構成部署である「保全エンジニアリング研究室」と「特殊構造技術室」が該当します。

特に「技術統括センター」は、「構造保全計画室」と連携して内製化促進を図るとともに、詳細設計に係る技術の育成・強化を目的に設計計算、図面作成・数量計算に特化した部署であり、我が社の詳細設計技術を若手技術者に継承する役割も担っています。

「保全エンジニアリング研究室」は、橋梁等の高度な保全技術に関する研究開発と実業務を、「特殊構造技術室」は特殊な構造形式の設計や高度な解析技術に関する研究開発と実業務、および地震・津波等の解析と防災技術の企画・開発を行っており、構造保全事業部のブレイン的役割を担っています。

構造保全事業部は、これら関連部署の連携を強化することにより、長年培った橋梁・道路構造物設計技術、豊富な経験と実績、最新の知見を活かして、長大橋梁や地下構造物をはじめとする「道路構造物」に関わる調査・計画・解析・設計から、施工管理、および点検調査・診断、補修・耐震補強設計、維持更新計画までの一貫した高度な技術サービスを提供しています。

【建設コンサルタント技術者として】

私たち建設コンサルタント技術者は、これまで築いてきた社会資本が、それを利用する人ばかりではなく、そこに住む人々が受け入れてくれるものであるかを常に意識して真摯に取り組まなければなりません。機能や単目的を満足する計画は、結果的に発注者を含む土木技術者の自己満足となり兼ねません。

 これまで、そしてこれからも道路橋設計の仕事に携わりますが、31年目を迎え、自分が設計した橋の現場を再度訪れて橋の供用ぶりを見て回り、土木技術者としての実績を確認したいと思っています。

【求める人材=行動原則を持った人】

我社には、この50余年の間継続してきた「若手でも手を挙げればやりたいことができる」という企業文化があります。これが継続できる理由は、与えられたミッションが「“できない”ではなく“どうすればできるか”を考える行動原則」(NE-Way)が組織と個の気質として受け継がれているからです。行動原則を持たない組織あるいは個は、失敗しても行動の原則(ルール)がないから何を修正すべきかわからない。同じ間違いを繰り返す。経験に学ぶことができないので成長できません。一方、行動原則のある組織と個は、失敗してもその都度失敗の経験を学習して原則を修正し、修正の積み重ねで行動原則がどんどん成功へのモデルに成長していきます。

この行動原則をもつ個は「自分でものを考えられる力」を持っている人です。この人材が行動原則を有する組織を形成します。「どうすればできるか」を自分で考えられる力を持つ人が求める人材です。

【大学の研究室での4年間が土木技術者の礎】

大学3年生から土木工学科の橋梁研究室に入り浸り、先輩たちと「Structure Analysis」の輪講や合宿を経験。修士課程では、構造実験棟での鋼材引張圧縮試験、情報処理センターでの構造解析、研究室仲間たちと卒論・修論のテーマに取り組んだ研究活動が、私の土木技術者としての礎となっています。

【入社時から携わった橋への思い】

1985年に大日本コンサルタント(株)に入社し、主に、道路橋の計画、下部・基礎構造の設計に携わり、今年31年目を迎えました。

新入社員の時、上司に「一緒に来い」と連れられて行った現場は、旧多摩(たま)川原(がわら)橋の架橋現場で、上下各1車線のこの橋は車で渋滞していました。その後、この旧橋の上流側に新設Ⅰ期線を架け、旧橋を落として新設Ⅱ期線を架ける新設多摩川原橋(鋼3径間連続箱桁 写真-1)とその取付け高架橋の設計業務に携わり、4車線の新設橋が完成したのは入社21年目の2006年です。

多摩川原橋は、当時、多摩川中流部に同時期に計画された5橋中の1橋であり、各担当5社によるコンサル合同協議等で他社の技術者にもまれながら、また、施工会社の技術者から現場対応で相談されながら、土木業界の方たちとの協力体制が大事であることを学びました。

この多摩川原橋の一連の業務が、新入社員から担当者、主担当者、管理技術者へとの変遷を経て、建設コンサルタント技術者としての成長を支えてくれました。

【設計に没頭した時期の業務】

1998年2月の長野オリンピック開催に向けた、長野県内の競技会場間を結ぶアクセス道路整備の一環である橋梁の詳細設計に集中的に携わりました。この時期は主担当者として繁忙ではありましたが、技術習得に勤しんだ充実した毎日を送っていました。

主担当者として従事した橋は、千曲川を渡河する屋島橋(ニールセンローゼ橋+PCT桁 写真-2)と村山橋(鋼連続トラス橋+鋼連続箱桁 写真-3)、白馬に向かう茂(も)菅(すげ)大橋(連続PC箱桁橋+鋼曲線箱桁橋 写真-4)、犀川渡河橋の取付け高架である大豆(まめ)島(しま)高架橋、2つの交差点を跨ぐ国道18号の母(も)袋(たい)高架橋(鋼連続箱桁橋 写真-5)です。

屋島橋は、当時の新技術であったオープンケーソンで「SSケーソン」を採用しました。下部工施工時に千曲川の水位が仮桟橋を越え工事がストップし、現場からの問合せに四苦八苦したことが思い出されます。村山橋は、長野電鉄の併用橋です。鉄道総研に耐震設計手法の協議のため何度も足を運び、鉄道橋と道路橋の両方の設計をしています。茂菅大橋は、A2橋台で県道橋と市道橋に分離する珍しい形状をした橋であり、A2橋台は2方向で桁を支持する段差フーチングの箱式橋台(深礎)で、設計には大変苦労しました。

母袋高架橋は、担当で初めて景観に配慮する命題が課せられた橋梁で、景観デザイン室の協力を得て設計を進めました。当時の新技術であった分散沓を採用して連続桁化と橋脚柱寸法の統一化を可能としています。また、箱桁の外側にブラケットを設置し、将来の4車線拡幅に対応した設計になっています。

技術士の資格は、茂菅大橋、村山橋、母袋高架橋の経験論文で取得しました。

【町内ソフトボールでリフレッシュ】

20年ほど前に、近所に住む大学時代の同級生から誘われて、毎週日曜日の朝6時集合でソフトボールを楽しんでいます(写真-6)。私が所属するチームは、駅周辺の町内ごとに編成された16チームの一つで、A、B二つのリーグに分かれて8チームによる総当り戦を年3回(4月~10月)行っています。

違う職業のほぼ同年代のおじさん達がチームメイトで、会社関係以外で地元に仲間ができたことが、今まで続けて来れた理由だと思います。

PHOTOS


  • 写真-1 多摩川原橋(奥に見えるアーチ橋は水道橋)

  • 写真-2 屋島橋

  • 写真-3 村山橋

  • 写真-4 茂菅大橋

  • 写真-6 バッター「齋藤」